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32.
翌朝は明け方から雨が降っていて、その雨音で目が冴えてしまう。
家を出ると、家の前に一台の黒光りする長い車。
運転席のドアが開き、パっと大きな黒い傘が広がると、出てきた運転手さんにうやうやしくお辞儀をされた。
「牧野さま、お早うございます。司様がご自宅でお待ちです。
どうぞお乗りください。」
急遽、今日の授業はキャンセルだ。
通されたのは、主(あるじ)の戻った東側の角部屋で、あの懐かしいベッドやソファーはちっとも変わっていなくて、スリリングに過ごした日々が嫌でも脳裏に浮かんだ。
ただ、デスクの向こうで誰かとずっとウェブ会話している道明寺は、相手の出方を辛坊強く待つ合間をとるビジネスマンで、そこだけ書き換えが必要だった。
威圧的で高飛車な話し方はそこには無く、鉄の女、道明寺のお母さんとはまた違う仕事が出来る感じがする。
どんな相手とどんな話なのか私にはさっぱりわからない。
そして、道明寺が本当に仕事をこなせてるのかも、正直わからない。
なかなか切り上げられないのだろう。
会話しながらも、私に向かって人差し指を上げ、配慮を見せる道明寺。
顔色一つ変えないんだね。
でも、それで少しだけ緊張が取れた。
怒り心頭で、冷静に話せるのか不安でいっぱいだったから。
もう、この仕事が当たり前の作業で、日常のように自然で、今更ながらずいぶんと社会人が板について見えてくる。
私は笑顔を作り、身体を反転させた。
部屋の壁を眺める。
昔、先輩の指導のもと、磨いた覚えのある置時計。
そうそう、キャビネットに入った高そうなエアプレインの模型も覚えてる。
道明寺邸のこの部屋は、とてもなつかしい。
あの頃と同じ部屋。
眼をつぶれば、道明寺の熱い瞳にドギマギした日々が昨日のことのように思い出される。
でも、現実は・・・昨日の夜、類の鮮血と道明寺の拳を見て、本当に人生最悪の夜を過ごしたばかり。
学生の身分に守られた類も私も、社会に対してまだまだ子供で許される。
道明寺だけが早くに行った事情も仕方なくて、こうなったのはホントに仕方なかったのか。
もし、私が一緒にNYへ行ってたら?
何度も自問した問いの答えは、いつもあの選択は間違ってなかったと。
「遠距離恋愛大丈夫?」、誰かに聞かれて初めて気づくほど、私たちには何の障壁にならない自信があったはず。
強い思いがあって、疑わない二人の未来があったのはずなのに。
どうすればいいの?
「牧野、待たせてすまない。」
道明寺がすぐ横に立っていた。
「朝飯食ったか?」
「うん。」
身長185センチ。
高いところからじっと見下ろされ、しばらくお互い見つめ合っていた。
きれいな野獣という印象はそのままに、優しくなったその瞳は落ち着きはらっていて、一つの欠点もないような容姿の男。
おもむろに道明寺の腕が伸びてきて、すっぽりと腕の中で抱きしめられた。
道明寺のコロンの香りだ。
大きな、大きなため息と、優しく頭をなでる大きな掌の重み。
なんども夢見たことが現実に起きている。
「牧野・・・。」
懐かしく響く道明寺の声。
胸から伝わる振動は何度も覚えのある暖かいもので、何よりの幸福を感じる場所だった。
忘れた訳ではいない。
けど、なのに、胸がひどく痛む。
胸からも、眼からも、鼻からも、あらゆる触れた所から、剣山を突き刺されたようなピリピリとした痛みを感じる。
言葉にする前から痛みに胸をしめつけられて、涙が出そうになってくる。
「あの、・・・あのね。」
「昨日は俺が悪かった!どうかしてたんだと思う。」
「えっ・・・?」
「反省した、類にも謝る。」
「謝るって・・・あんた。」
「仲直りしたかったら、謝るもんだろ。」
「一番、苦手な事でしょ?
いや、そういう事じゃなくて、あの・・・さ、道明・・っ」
「・・・っさい。」
すると、これ以上聞かないとばかりに、道明寺は私の耳に熱い息を落とし、そのまま首筋を咥える込むように野性的なキスをする。
面食らう。
そのキスは、耳元へ、頬へ、どんどん場所を移し、ついには私の唇を飲み込んでいく。
離さないとばかりの包み込むような大きなキス。
大切に愛おしむような温くて。
道明寺の体温が私の身体にダイレクトに伝わって、足がその場から生えてきたようにビクとも動かなくなった。
道明寺の舌先は止まらず、簡単にこじ開けられて、追いつめられて、とうとう逃げ場を失うと、わけわからないうちに肩から力が抜けてしまう。
眩暈がしそうな熱いキスに額のあたりでヒリヒリとした警告を感じた瞬間だった。
キスが止まる。
唇が離れて、私を見つめる道明寺の眼差しと交差した。
「お前、なんで泣いてる?」
「えっ?」
あわてて頬に手をあてると、確かに涙がつたっていた。
「ヤダっ、なんでだろ・・・。」
「そんなに嫌か?」
道明寺の瞳は怒っているようには見えない。
「わ・わかんないよ。
でも、多分、あんたのせいじゃない。」
「・・・。」
早く!!早く、とにかく、言わなきゃ。
ハッキリ言わなきゃ。
正気なうちに言葉にしておかなきゃ。
でも、焦って言おうとする側から、涙が堰をきったように溢れ出して邪魔をする。
どうにも止まらなくて、声も出せなくて、顔もあげられなくなって。
でも、どうしても言葉で伝えなきゃダメ。
眼をつぶって思い切って声を出す。
「聞いて!道明寺、私・・・私ね、
今は・・・類が一番大事なの。」
一瞬、道明寺の腕の力が強くなった気がした。
けれど、目をあけると、静かに覗き込む道明寺の顔がすぐ目の前にある。
「だとしても。」
空を切るような乾いた声に、目を見開いて見つめ返した。
「・・・前もそうだったろ、お前はめっぽう類に弱いからな。
でも、必ず俺のところに戻ってくる、お前と俺は結ばれる運命だろが。」
「違うの。
あんたはずっと先に行っちゃって、あたし、未来が見えなくなってるんだよ。」
道明寺の両手が私の両肩をグッと掴んだ。
「なあ、牧野、一緒にNY行かねえか?
すぐに結婚とは言わねえ、まだゆっくりと学生気分を味わいてえだろ?
向こうの大学に入って、好きなように勉強続けろよ。」
日本での事は全て目をつぶるってこと?
もう頭ごなしに怒鳴ったり、押し付けたりしないんだね、道明寺。
頭ではわかっている、答えはイエスというべきだって。
二人の未来を選ぶなら、最善な答えだと。
なのに、イエスと言えない性分がわかってるでしょ。
「ごめん、出来ないよ、類を置いていけない。
こんな気持ちで道明寺といられない、婚約は白紙に戻して、お願い。」
道明寺のこめかみが一瞬ピキっと動く。
黙りこくったかと思うと、少し怖い顔して口を開いた。
「ついて来い。」
王様が家来に命令するように、断ることなど微塵も予想していない口ぶりに聞こえた。
類をなじった昨夜の道明寺を思い出し、身体に力が入る。
「・・・っ。」
「来いっ。」
二回目は更に強い口調だった。
ブルブルと頭を大きく振って後ずさる。
「…道明寺、私は類の側にいたいの。」
「お前、言っている意味わかってるのか?牧野。」
「・・・。」
「このタイミングが"最後"になるぞ。」
道明寺は怖い目つきで上から見ている。
最後!??
返事の重みに今更ながら、唾をのみ込む。
だからって、先のことを避けるために、動けない
道明寺に向かって頭を大きく縦に振った。
道明寺はソファーに腰をおろし、目をつぶり黙りこくる。
そして、合図のように机を叩いて目を開けた。
「お前、そんなに類が大事か?好きなのか?離れられないくらい。」
「・・・。」
それは、苦しげに怒りのにじむ声色だった。
『そう。
多分、そう。
友達の好きじゃない、愛おしい気持ちの好き。
ごめん、道明寺、本当にごめんなさい。
サイテー、あたし・・・。
もう、こんな自分がいやだ。』
こんな時に、道明寺の声が素直に入ってくる。
「俺を幸せにしてくれるんだろ!?牧野は。」
道明寺の前に立つ資格さえない。
「...ごめん。」
つづく
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